庄内地方の概要
山形県庄内地方は、日本海に面し、背後には鳥海山、出羽三山(月山、羽黒山、湯殿山)を主峰とする山々にかこまれており、とても豊かな四季折々の色彩に恵まれたところです。庄内地方内は、酒田市、鶴岡市、飽海郡遊佐町、東田川郡庄内町、東田川郡三川町から成り立っており、「商業の町酒田」、「城下町鶴岡」などそれぞれの街ごとの色合いを持っています。全国的に有名な「庄内米」の米産地として知られているほか、海の幸、山の幸にも恵まれた土地でもあり、こうした自然環境と歴史的伝統によって地域的特色をもつ文化が培われました。
庄内地方(酒田市)の概要・主な歩み
庄内地方酒田市は、山形県の北西部、最上川の河口に位置し、日本海に面しています。その日本海に面する庄内平野は、全国でも有数の米の産地として知られています。最上川河口に開けた港町酒田は、古くから「庄内米」の集積地として栄えていました。また、山形県唯一の重要港湾、酒田港があり、まさに「商業の町酒田」として栄えています。
酒田市には、平安時代に朝廷が築いたと考えられる「城輪柵跡」があるように、酒田の歴史はとても古いものです。酒田の街は、袖の浦(酒田市)に移り住んだ「奥州藤原氏」の家臣36人が、1521年頃、現在地に移り、砂浜を開拓し作ったと言われています。袖の浦は、中世に貿易の中継地だったことから、酒田はますます栄えるようになり、その繁栄ぶりは「西の堺、東の酒田」ともいわれていました。
酒田の歴史は「本間家の歴史」というほど、本間家は自身と酒田の繁栄と共に歴史を歩んできました。 本間家は、江戸時代初期、米相場の投機でまたたく間に巨万の富を得た大地主です。戦前まで、今の酒田市のおよそ半分の田を所有していました。 また本間家は、「大名貸し」、「商人貸し」、「農民貸し」を行い、それぞれの返済にあたっては温情措置をとるなどして、貧困の民を救いました。 また、庄内藩への多額の献金、砂防林の植林、新田開発、寺社の寄進、貧民救済事業など、町の発展のためには惜しみなく私財を投じたといいます。 代が替わっても巨額の献金は続けられ、戦前までのあらゆる寄付金は本間家が引き受けたほか、なんと酒田市の税金の半分を負担していたそうです。しかしその豪商ぶりとは裏腹に、商人としての分をわきまえ、生活は意外に質素だったと言われています。また、現在の本間家旧本邸、本間美術館をはじめ、現在の酒田市の観光スポットの多くは、本間家の資金で作られています。
現在の酒田市は、平成8年度より、「世界に開かれた活力と夢のある個性豊かな交流都市酒田」を将来の発展像として、この目標に沿ってさまざまな事業に取り組み、発展し続けています。
酒田市は2005年11月、酒田市、八幡町、松山町、平田町が合併し、新しい酒田市となりました。
庄内地方(鶴岡市)の概要・主な歩み
鶴岡市は、山形県の日本海側、新潟と秋田の中間、人の横顔を思わせる山形の「鼻」の部分にあたり、庄内平野の南部にあります。人口10万の城下町で、全国有数の穀倉地帯として構えています。文学の歴史では、奥の細道ゆかりの地としても知られ、松尾芭蕉が出羽三山の登拝を終えて立ち寄り、「めずらしや山を出羽の初茄子」の句を残しています。
鶴岡市は、2005年10月、鶴岡市、藤島町、羽黒町、櫛引町、朝日村、温海町が合併し、新しい鶴岡市となりました。
鶴岡市は、江戸時代約240年の間、徳川家譜代大名の酒井家が治める庄内藩14万石の城下町として栄えていました。鶴岡はもともとは大宝寺という地名で、平安時代の末期には大泉荘の中心となっていたそうです。鎌倉時代の初め頃に、武藤氏が大泉荘の地頭として支配し、その武藤氏が滅亡後、越後上杉氏が支配しました。その後、関ヶ原の戦いの末、山形城主最上義光が治めることとなり、義光は大宝寺城を隠居の城として整備し、その名を鶴ヶ岡城と改めました。「鶴岡」の地名は、この時にできたものと言われています。時代は江戸時代に移り、元和8年(1622)最上氏が領地を没収され、代わって徳川四天王と言われた酒井忠次の孫・忠勝が入府しました。その後、庄内藩14万石が確立され、城下町として形成し、その歴史風情のある姿は、今の鶴岡でもうかがうことが出来ます。そして鶴岡は、自主性を尊重し、天性を生かす質実剛健な教育文化と、精力的な武士文化を基礎として栄えてきました。酒井家を藩主としたこの文化は250年の長い歴史を誇り、安定した藩政の時代を維持してきました。
そして現在では、平成8年度から行っている第3次鶴岡市総合計画で、鶴岡がめざす都市像を「いのち輝き 新しい文化を創造する 緑の城下町鶴岡」とし、古き良き歴史文化を残しつつ、この都市像の実現に努めています。
庄内の名前の由来
庄内の名前の由来は、はっきりとはしていませんが、昔の荘園に由来しているといわれています。荘園とは、有力な貴族や寺院がもつ田畑のことをあらわし、地方の豪族が、重い税金をのがれるために、自分が切り開いた田畑を有力な貴族に寄付し荘園にしたものをいいます。これらのゆかりや名前などが似ていることから庄内になったといわれているそうです。
 |
 |
 |
 |
| 庄内地方の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓ |
致道博物館 |
| 住所: |
〒997-0036
鶴岡市家中新町10-18 [地図を見る] |
| 電話番号: |
0235-22-1199 |
| 開館時間: |
9:00〜17:00(入館は16:30まで) |
| 休館日: |
年末年始
※展示替の場合、一部休館することがあります |
| 入館料: |
一般 700円(※600円、※450円)
学生 380円(※350円、※250円)
小・中学生 280円(200円、120円)
※1団体20名以上
※2団体100名以上 |
| |
|
|
 |
 |
 |
 |
|
 |
|